顯法寺の歴史

境内

当山顕法寺は昭和6年に開山され以降、約90年の歴史を誇る寺院であります。第1世住職伊丹慈俊上人「慈俊院日涼上人」当時はまだ伽藍もなく衣食住のための小屋があっただけで、お参りや葬儀は外で行われることが基本となる時代でした。第1世が遷化されたあとは一時的に無住職の寺院になった顕法寺でしたが、当時苫小牧沼ノ端にある法華寺のお弟子であった鈴木智晶上人「瑞寶院日演上人」が第2世住職として入寺しました。第2世は当時まだ無かった本堂(昭和52年建立)や納骨堂(平成9年建立)など多方面で伽藍の建立に貢献された方でした。のちに第3世住職である鈴木智道上人「海道院日晃上人」は顕法寺内面でのことに尽力された方でした。特に檀信徒の為に手作りした「顕法寺お経本」は約150ページにわたる膨大な量を作成されたことが上げられます。現在は第4世住職鈴木智善上人「智隆院日顕上人」に引き継がれています。現住職は北海道の日蓮宗の中では最年少住職ではありますが、日々当山顕法寺の繁栄と檀信徒皆様の心のやすらぎを共有するために孤軍奮闘しております。

法要を通して学ぶこと

お経

近年は様々な斎場の進出によりお寺で法要をする機会が極端に減少しています。しかし、当山顕法寺では「葬儀」や「法事」などの「法要」を昔ながらのお寺で行うことを薦めています。斎場にはないお寺としての魅力を最大限に生かせる場が「法要」であります。斎場にはない魅力としては大きく3つ挙げられます。まず各お寺の伽藍(がらん)「お寺の建物のこと」の荘厳な佇まい、またあまり直接見る機会のない朝のお勤めの風景、最後にお寺の住職との通夜や法事終わりの座談などです。この3つは斎場ではまず見ることは出来ない場面でもあります。このようにお寺で行うことは計り知れない程に皆さんの心に様々な興味や疑問などを抱かせ、心の成長に繋がっていくことは間違いありません。また「法要」とは一般的に亡き人の供養を行い、冥福を祈ることとされていますが、果たして法要の意味はそれだけでしょうか?現代は「核家族化」が進み、親戚で集まることも少なくなりました。実は私たちは法要を通して、残された家族・親族の心が一つになっていくのです。樹木は根を大切にしてこそ枝葉が実ります。ご先祖様を大切にして子孫の繁栄を願うことにより、貴方も大切にされます。故人を供養(立派な仏様になれるように応援すること)すると、その良い行いの積み重ね「功徳(くどく)」が巡り巡って、自分自身に立派な人格が備わってきます。家族、親族、縁ある人はもとより、生きとし生けるすべての人に供養する功徳は計り知れず大きいものであり、実際に行動を起こすことにより自然と周りには手助けをしてくれる仲間が出来ること、それがなによりもの巡り巡って訪れた功徳と呼ばれるものです。

生きとし生けるものに仏の心

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法華経は、第一章から第二十八章で構成されています。
前半部分には、誰もが仏になれる、そしてどのような人でも“仏の心”が備わっていると説かれています。
人だけではなく、動物・植物・大地、全ての生きとし生けるものに仏の心はあるのです。

日蓮聖人が説いたお題目「南無妙法蓮華経」は、全ての仏さまに感謝し、手を合わせます。全てに備わる 仏の心を信じ、南無妙法蓮華経のお題目を口に出して唱え、自分の中にある仏の心を呼び現していこうと しています。